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前浜トーチカ ( 1/2 )
Maehama Tochka
南国市、 1945 (昭和20)年
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使われずに終わった本土決戦の備え

太平洋戦争の後半から末期、日本の勢力下にあった太平洋の島々、そして沖縄が陥落すると、米軍を日本の本土で迎え撃つ闘い、すなわち本土決戦がいよいよ現実味を帯びてきます。そこで日本軍は各地の海岸線にトーチカという防御陣地を設置して本土決戦に備えますが、周知の通り広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦を受けて日本は降伏。本土決戦は行われず、トーチカは無用の長物となりました。戦後、この種の戦争遺跡の多くは解体されたものの、放置状態の遺構もある程度は残っています。その中から本稿では高知県南国市の前浜トーチカを紹介します。

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概要

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旧日本軍は高知県の海岸を上陸地点のひとつと予想し、高知海軍航空隊基地(現・高知空港)付近に陣地を構築しました。その中心施設は基地の西方5kmに1944(昭和19)年10月頃から建設された琴平山(こんぴらやま)陣地で、トーチカや塹壕といった構造物が残っていますが、筆者はこちらは見ていません。そして戦争末期の1945(昭和20)年7月、琴平山陣地と航空隊基地のおおむね中間の海岸付近に前浜トーチカが建設されました。なお、この名前は立地場所の地名から付けられた通称です。
 
トーチカとは防御陣地における比較的小規模な構造物をいい、基本的に鉄筋コンクリートで造られます。通常、トーチカは複数を並べるもので、前浜には7〜8基ほどあったようですが、現存するのは1基のみ。
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形状等

前浜トーチカは平面が五角形になっていて、寸法は全長10.6m、全幅8m、高さ4.2m、壁厚2m。壁がこれほど厚いのはもちろん砲弾に耐えるためです。軍が三昼夜の突貫工事で完成させたとのこと。開口部については、北立面(内陸側)に出入口が、その他の立面や屋根に銃眼、監視口、換気口が何カ所か開いています。現在は近所の方が倉庫に使っている模様。
 
実際に米軍は九州南部への上陸の陽動作戦として高知への上陸を計画しており、もし実行されていれば、トーチカが防御手段の全てではありませんが、日本軍兵士はこの小さなコンクリート構造物に籠もって海から押し寄せる米軍と対峙したことになります。

名称

前浜トーチカ

Maehama Tochka

設計

不詳

所在地

高知県南国市前浜

用途

軍事施設(現在は倉庫)

竣工

1945(昭和20)年

構造・規模

構造:鉄筋コンクリート造

面積:未確認

交通

鉄道:JR土讃線 後免駅 または土佐電気鉄道後免線 後免東町電停 下車、タクシーで十数分

バス:土電バス 前浜車庫前バス停下車 徒歩4分

車:駐車場無し、適当な場所に路上駐車

上から前浜掩体壕群、前浜トーチカ


補註

  1. 前浜トーチカの北東、高知海軍航空隊基地(現・高知空港)の西に、同基地の掩体壕(戦闘機の格納庫)が7基残っている。戦跡としてはそちらの方が有名。詳しくは別記事を参照。
  2. 当サイトで取り上げたトーチカや掩体壕の他、空港の東側(高知工業高専付近や高知大学農学部の敷地内)にも戦跡がある。筆者は未見。詳しくはリンク1を参照。

参考文献

  1. 『続・しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実 編、柏書房

リンク

  1. 萌えよ議事録高知駐屯地祭番外編。
  2. トーチカ本土決戦 ウィキペディア

公開日:2014年8月10日、最終更新日:2014年8月10日、撮影時期:2006年10月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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