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端島炭鉱 / 軍艦島 6/8 )
Hashima Coal Mine / Gunkanjima
長崎市
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【61】東側全景
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南東方向から見た3Dモデル(Google Earthをキャプチャして加工)

6ページからは鉱業所エリアの建物や構造物を紹介していきます。ただし、多くの建物が現存する住居エリアに比べると、鉱業所エリアにはあまり残っていません。実は、閉山後に大半の施設が解体されてしまい、瓦礫混じりの更地に半壊した遺構がいくつか点在するのみという状況です。
 
船で端島に接近すると、鉱業所エリアが広がっていた東側を最初に見ることになります(写真61)。船上からすぐ視認できる炭鉱施設は南側の工場や事務所、さらによく見れば中央から北側の遺構群に気付くでしょう。
 
実際に上陸できるのは、鉱業所エリア南側に設けられた見学ルート(左の赤線)だけなので、中央から北の遺構は船上やルート上から眺めるしかありません。そこで、まず6ページの前半で遠方からの見学に限定される遺構を述べた後、6ページ後半から7ページでは上陸して近くから見学可能な遺構について説明いたします。


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【62】

資材倉庫
竣工:1940(昭和15)年
構造:RC造2階建
 
詳細不明。

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【63】

四坑捲座
竣工:1925(大正14)年
構造:RC造1階建
 
端島炭鉱には、地上と地下坑道を結ぶ竪坑(たてこう、竪穴のこと)が4本ありました。4本が同時期に使われていたわけではなく、閉山時に使用されていたのは二坑と四坑のふたつ。竪坑櫓は2基とも撤去されましたが、捲座(まきざ)は残っています。捲座とは、竪坑内のケージ(エレベーターの箱に相当するもの)を吊り下げるケーブルの巻上機を収容する建物のこと。要するにエレベーター機械室との理解でいいでしょう。
 
構造はRC造ながら、部分的にレンガを貼ったりアーチ状の開口部(装飾?)を設けるなど、旧来のレンガ造を意識したデザインが見られます。


【64】

圧気室
竣工:1939(昭和14)年
構造:S造1階建
圧気室・第一主要扇風機室
竣工:1959(昭和34)年
構造:RC造1階建
 
火気厳禁の坑内において、機械類は圧搾空気を動力としていました。圧気室とはその圧搾空気を作っていた施設です。また、地下深く延びる坑道の換気方法は、ふたつの竪坑をそれぞれ給気と排気に利用し、排気側に大型扇風機を設置して空気を循環させていました。換気が止まると坑内が酸欠状態に陥るため、扇風機は24時間動かし続けなければならず、故障に備えて2基ありました。圧気室を兼ねた第一主要扇風機室はメインの扇風機があった施設。

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【65】

ベルトコンベア支柱
竣工:不明
構造:RC造
 
採掘と選炭の過程を経た石炭は、出荷前に貯炭場というところに野積みされます。島の東側中央の開けた場所が貯炭場で、柱の列はそこに石炭を送るベルトコンベアの支柱です。鉄筋が錆びて膨張し、外側のコンクリートが剥離していますが(爆裂破壊という)、そんなボロボロになりながらも建ち続けている姿は、胸を打つものがあります。

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【66】

積込桟橋橋台
竣工:不明
構造:RC造
 
端島炭鉱の石炭は、石炭運搬船によって製鉄所などの消費地に向けて出荷されました。貯炭場の岸壁には石炭を運搬船に積み込むための桟橋があり、ディストリビューターという大きな機械が活躍していましたが、現在はそれを支えていた基礎だけが残っています。

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【67】

ドルフィン桟橋
竣工:1962(昭和37)年
構造:RC造
 
端島は周囲すべてを高い護岸に囲まれています。昔は、大型船から小舟に乗り移って島に近づき、クレーン式桟橋から垂れ下がるワイヤタラップを伝って上陸していましたが、海中に転落する危険があり島民にとって大きな負担でした。そこで造られたのが「ドルフィン桟橋」と呼ばれる構造物です。ドルフィンとは海底から杭で支えられた係留施設の一種で、主にタンカーの係留に用いられますが、護岸に船を着けられない端島では、人の乗降のためにこれを建設しました。
 
1954(昭和29)年完成の初代、1958(昭和33)年の二代目ドルフィン桟橋とも台風により損壊。現在のドルフィン桟橋は1962(昭和37)年に完成した三代目になります。

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【68】

護岸
竣工:明治・大正・昭和時代
構造:石造、RC造
 
そもそも端島は小さな島ですが、昔はもっと小さく、ほとんど岩礁と呼んだ方がいいくらいでした。炭鉱開発が始まった明治以降、ボタ(石炭採掘の残りカス)で埋め立てて順次拡張し、現在の大きさに至ります。
 
前述の通り、島の周囲は高い護岸で囲まれていますが、台風の波で崩壊と再建を幾度も繰り返すという苦労の連続でした。護岸の構造は、明治・大正時代は石造、昭和に入るとRC造に替わります。石造護岸はRC造による補強工事で隠れてしまいましたが、一部露出している箇所から見ることができます。

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【69】

人道トンネル
竣工:不明
構造:RC造
 
ドルフィン桟橋と住居エリアを往来するには、護岸に沿って歩くか鉱業所を横断しなければなりません。鉱業所を横断する形で造られた人道トンネルは、ドルフィン桟橋と30号棟近くを結ぶ住居エリアへのメインルートです。現在、ドルフィン桟橋から島に渡ってすぐの部分は、人道トンネルの入口付近を補強して使っていて、奥の方は立ち入り禁止ですがフェンス越しに覗くことはできます(といっても真っ暗で何も見えない)。また、地表にはトンネル構造物の一部が露出しています。


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