別府市中央公民館は2014(平成26)年10月1日から2016(平成28)年3月31日まで休館して改修工事が行われ、同年4月にリニューアルオープンしました。この工事により正面玄関の大階段が復原されるなど内外観とも大きく変わり、名称も旧来の別府市公会堂に戻っています。ただし、本稿は改修工事前の執筆であり情報が古いことを予めご了承ください。
概要
別府市中央公民館は、1924(大正13)年に別府が市制に移行したことを記念し、1928(昭和3)年に別府市公会堂として竣工しました。現在は中央公民館兼市民会館として使われています。市の公式資料(下記リンク先参照)によると、延床面積では市民会館部分の方が大きいのですが、建物名称は別府市中央公民館で通しているようです。設計者は逓信省(戦前の郵便・電話・通信関係を担った省庁)営繕課の吉田鉄郎 註1。彼は同時期に別府郵便電話局電話分室(現 別府市南部児童館)を担当しており、その縁で公会堂も設計したものと思われます。ただ、逓信省営繕課で設計業務を受注したのか個人の立場で手掛けたのか、手持ちの資料ではよく分かりませんでした。
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建築の特徴
構造は鉄筋コンクリート造で、玄関やロビーがある正面部分はフラットルーフ、座席数500のホール部分は切妻屋根です。吉田が所属した逓信省営繕課といえば戦前の建築デザインをリードした組織で、明治・大正・昭和初期にかけて、歴史様式から表現主義、そしてモダニズムへとデザインの傾向を発展させていきますが、この別府市中央公民館は表現主義の時期に該当し、アーチ状の開口部 註2 や重厚なバルコニー、スクラッチ タイル貼りの外壁など、随所にそれらしいデザインを見ることができます。
また、設計にあたってスウェーデンのストックホルム市庁舎(ラグナル エストベリ、1923)を参考にしたといわれており、実際に同市庁舎と比較すると、ファサード(正面)開口部の連続アーチは確かによく似ています。
竣工時の階数は地下1階、地上2階建て。昔は右の写真のような大階段から地上1階にアクセスしていたようですが、後年に階段を撤去して庇を設置し、かつての地下1階を玄関とする地上3階建てに変わっているようです。
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内部
写真05はエントランス ホール。前述の通り竣工時は地階(半地下)だった空間で、傾斜天井は昔の階段の裏側にあたります。この他にも噴水や照明器具、ステンドグラスなど、当時のインテリアが比較的よく残っています。
名称 | 別府市中央公民館 Beppu City Central Community Center |
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旧名称 | 別府市公会堂 Beppu City Municipal Hall |
設計者 | 吉田 鉄郎 YOSHIDA Tetsuro |
所在地 | 大分県別府市上田の湯町6-37 |
用途 | 公民館、市民会館 |
竣工 | 1928(昭和3)年 |
構造・規模 | 構造:鉄筋コンクリート造、階数:地上3階 建築面積:未確認、延床面積:3,101m2 |
交通 | 鉄道:別府駅下車 徒歩約10分 |
備考 | 改修工事に伴い2016(平成28)年3月31日まで休館。見学不可。 |
左から別府市中央公民館、別府市児童館
補註
- 吉田 鉄郎(よしだ てつろう)。1894〜1956(明治27〜昭和31)年。富山県出身。東京帝国大学建築学科を1919(大正8)年に卒業後、逓信省に入省し、山田守らとともに同省関連施設(いわゆる逓信建築)の設計を通じて戦前の建築デザインをリードした。代表作に東京中央郵便局や大阪中央郵便局などがある。
- 鉄筋コンクリート造だから構造的には必ずしもアーチにする必要はない。
参考文献
- 『日本近代建築大全〈西日本編〉』講談社
リンク
- 別府市 > 別府市中央公民館
- 別府市教育委員会 > 生涯学習課 > 別府市の社会教育施設 > 別府市中央公民館 PDF
- ITOデザイン事務所 > 別府の近代建築遺産 > 別府市中央公民館(旧別府市公会堂)
- レトロな建物を訪ねて > 別府市中央公民館
- 吉田鉄郎 ウィキペディア
公開日:2013年11月26日、最終更新日:2016年6月20日 リニューアルオープンの情報を追記、撮影時期:2007年4月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)