はじめに

また、ドーバー海峡に面するドーバー港とロンドンとの間に位置するため、交通・軍事的にも重要拠点であり、中世の城の遺構が残っています。カンタベリーを上空から見ると、かつての城壁沿いに設けられた道路から、城壁に囲まれた旧市街の範囲が読み取れるでしょう(a)。
城郭の遺構としてはキープ(天守)、デーン ジョン(後述)、城門、城壁の4つが現存。このうちウエスト ゲート タワーと呼ばれる西の城門は 別の記事で紹介しています。城壁はキープの周辺や大聖堂の東側に部分的に残っていますが、筆者は時間がなくて見ていません。デーン ジョンも未見。本稿ではキープ、すなわちカンタベリー城について説明します。

【a】カンタベリー市街(Googleマップのキャプチャに付記)

【02】

【03】

【04】
イギリスの初期の城郭
まずは、イングランドを中心とするイギリスの初期の城郭はどういう形状だったかを簡単に述べておきます。イギリスは、紀元前55年にローマ軍がブリテン島に侵攻、以後1〜10世紀にかけてゲルマン民族によるイングランド制圧やデーン人(ヴァイキング)の侵入といった戦乱が続きますが、この時代の城にはまだキープが存在せず、塀と濠で集落を囲む程度でした。
モット アンド ベイリーとシェル キープ
イギリスの築城技術が大きく進展するのは、11世紀にノルマンディ公国(現在のフランス ノルマンディ地方)がイングランドに侵攻して征服したノルマン コンクエスト 註1 以降のこと。征服直後のノルマン人は、モット アンド ベイリーという形式の城をイングランド各地に建設します。これは、円錐状に土を盛った部分(モット)と広場(ベイリー)で構成され、モットの上にキープが、ベイリーには住居、礼拝堂、馬小屋、納屋といった諸施設がありました。当初は木造だったキープはやがて石造へと発展。この円形の小山の上に建てられた石造円形キープをシェル キープと呼びます。
スクエア キープ

ロンドン塔
代表的なスクエア キープといえば、有名なロンドン塔 註2 の中心部に建つホワイトタワーと呼ばれる建築でしょう。ホワイトタワーの部分は、イングランドを征服したノルマンディ公ウィリアム I 世が築城を命じ、息子のウィリアム II 世が統治する1090年代におおむね完成しました。つまり、イングランドにおける初期のスクエア キープが完全な状態で現存するという点で、ホワイトタワーは歴史的にも貴重な建築なのです。
カンタベリー城の歴史

カンタベリー城は中世から近世まで様々な変遷を経た末、19世紀前半にガス会社が所有する倉庫となり、3階の外壁が破壊されてしまいました。現在は1~2階の外壁が残った遺跡の状態(写真02)で保存され、一般に公開されています。道を挟んだ反対側にはアパートが建っているなど(写真03)、ウエスト ゲート タワーや城壁と同様、キープはまちなみに馴染んでいます。

【b】デーン ジョンと城壁(Googleマップ ストリートビューのキャプチャ)

【c】現役時代のカンタベリー城(現地説明板から引用、d〜fも同じ)

【d】現在のカンタベリー城のアイソメトリック図

【05】

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キープの特徴
現役時代のカンタベリー城のスクエア キープは3階建て、外形寸法は26.4m × 22.8m。壁厚は2.8mで、壁体内に螺旋階段と井戸を設置。また、四隅に塔屋があったようです。
メイン エントランスは2階にあって、外部とは外階段(現存せず)で接続。2~3階が執務や居住関係の諸室で、1階は開口部がほとんど無い倉庫。要するに戦闘時の防御を考慮したプランニングになっています。これは当時のスクエア キープとしては標準的な構成です。

【e】平面図 左から3階、2階、1階

【f】断面図
内部は平面的に大きく3分割された上で、両サイドの空間はさらにふたつに仕切られています。壁は石造、床と屋根は木造(f)。外壁の内側には梁を架けていた穴が残っています(写真05)。
現代に残る階数表記
ちなみに、イギリスをはじめヨーロッパでは1階=グラウンド フロア、2階=ファースト フロア、3階=セカンド フロアと表記するので、日本人がこれを知らずにヨーロッパのホテルに行くと戸惑ってしまいますが、この階数表記は中世の城が2階から出入りしていたことの名残です。
名称 | カンタベリー城 Canterbury Castle |
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設計者 | 不詳 |
住所 | イギリス(イングランド)ケント州 カンタベリー Castle Street, Canterbury, CT1 2PR |
用途 | 城 |
竣工 | 1080年代 |
構造 | 石造 |
交通 | 鉄道:Canterbury East駅下車 徒歩2〜3分 |
備考 | 入場無料 |
上からウエスト ゲート タワー、カンタベリー大聖堂、カンタベリー城
補註
- 11世紀のイングランドではエドワード王が亡くなったことで後継争いが勃発する。ノルマンディー公国(現在のフランス ノルマンディー地方)の君主で、エドワード王の縁戚でもあったノルマンディー公(ギヨーム II 世)は、イングランドに南東部から侵攻。1066年12月25日、ロンドンのウェストミンスター寺院で戴冠式を行い、ウィリアム I 世として即位、ノルマン朝を開いた。この征服をノルマン コンクエストという。
- 建築的には本来「ロンドン城」というべきだが、昔から「ロンドン塔(Tower of London)」と呼ばれている。
参考文献
- 『世界の城郭 イギリスの古城 新装版』太田静六、吉川弘文館
- 現地の説明板
リンク
- Canterbury Castle、Keep ウィキペディア英語版
公開日:2014年11月9日、最終更新日:2014年11月9日、撮影時期:2004年9月
カメラ:Panasonic LUMIX DMC-FX1(Photoshopで修正)