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旧 山犬原川橋梁

概要

旧山犬原川(やまいんばる)橋梁は、唐津線多久駅の旧ホーム付近にかつて存在した橋梁である。多久駅は土地区画整理事業に伴い新しい駅舎に移転し、旧駅の駅舎やホームは撤去された。その跡地に残っていた橋梁の歴史的価値を九州ヘリテージのゴン太さんが発見され(下記リンク先を参照)、筆者も後追いで現地を訪れた次第である。

昔の航空写真から分かるように、旧多久駅のホームは河川の上に架かっていた。旧山犬原川橋梁はそのホームと軌道を支えていたわけだ。河川上にホームを配置した理由は不明だが、わざわざ面倒なことをするからには、用地買収や側線・支線との関係といったやむを得ない理由があったのではなかろうか。

ゴン太さんや筆者が訪れたときはホームと軌道は撤去済みで、それらを支えていた橋桁と橋台だけが残っていた。他の方の報告によると、2011(平成23)年5月の時点で橋桁は存在せず、橋台の撤去工事が行われていたとのことなので、もはや何も残っていないと思われる。

旧山犬原川橋梁は1本の橋梁ではなく、ホームと複数の軌道それぞれを橋桁が支えているという複合的な橋梁だった。筆者が見たときは4本(4組)の橋梁があったが、昔の航空写真から推測するともう1〜2本は架かっていたはずだ。新駅移転に伴う軌道変更で新しい山犬原川橋梁を架ける際、工事の妨げになるので先に撤去したのだろう。

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橋の構造は、橋桁がプレートガーダー、橋台はひとつが石造で残りはレンガ造、橋脚もレンガ造である。注目すべきはホームを支えていたと思われる橋桁で、銘板には「PATENT SHAFT & AXLETREE CO LD ENGINEERS 1890 WEDNESBURY」と記されていた。パテント シャフト アンド アクスルトゥリー社は1840年にイギリスで設立されたメーカー(現存せず)、1890(明治23)年は橋桁の製造年、ウェンズベリーは同社の工場があったイギリスの地名だ。日本の初期の鉄道橋梁には同社製のものが多く、何カ所かは現存している。

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軌道を支えていた残る3本の橋梁については、ひとつだけ銘板が判読できた。その日本語部分には「大正十年 汽車製造株式會社製作 鐵道省」とある。他の2本もおそらく同じだろう。1921(大正10)年は多久駅が開業した1899(明治32)年の22年後になる。この時間差の理由として考えられるのは、軌道の橋梁を架け替えたか、開業当初のホームは河川上ではなかった、の二説だ。
photo国土画像情報

国土交通省 国土画像情報 撮影1974(昭和49)年度


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手前がパテント シャフト アンド アクスルトゥリー社製の橋桁
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そこで橋台に注目すると、ホーム側の石造に対して軌道側はレンガ造と異なっており、同時期の建設だとすると建材を使い分けるのは不自然ではなかろうか。しかも、ホーム側は橋脚無しの1スパンなのに、軌道側は河川の中央に橋脚を設けて2スパンで架かっている。このような違いから、パテント シャフト アンド アクスルトゥリー社製橋梁は、開業当初はホームではなく軌道が通っていたのかもしれない(あくまでも筆者の推測)。ただし、軌道にしては橋桁の間隔が妙に広いという点に疑問が残るのだが。

データ

住所:佐賀県多久市北多久町
竣工:1899(明治32)年頃(橋桁の製造年ではなく多久駅の開業年頃を竣工年と判断している)
撮影:2009(平成21)年5月

リンク

  1. 九州ヘリテージ雑記帳JR多久駅の橋梁群
  2. 佐賀ばそーつく旧山犬原川橋梁跡
  3. 多久駅パテント・シャフト ウィキペディア


作成日:2012/9/15、最終更新日:同左

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