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三池炭鉱宮浦坑 ( 3/4 )
Miyaura Pit of Miike Coal Mine
福岡県大牟田市、1888(明治21)年
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【301】

3ページでは宮浦石炭記念公園に保存されている車両や機械を紹介します。車両は坑内軌道の人車と鉱車、機械は石炭採掘作業用です。

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【302】車掌車
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【303】車掌車と坑口
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【304】普通車

人車(車掌車、普通車)

大斜坑の地上部分にはレールが残っていて、そこに炭鉱夫を運ぶための人車(じんしゃ)という列車が保存されています。かつてはこの坑口前のプラットホームで炭鉱夫が人車に乗り込み、地下深くの坑道に向かっていったわけです。ただし、プラットホームの上屋は公園整備時の建設でしょう。2ページでも少し述べたように、この人車は斜坑を往復するケーブルカーであり、斜坑の下から坑道先端の採掘現場までは別の人車に乗り換えて移動しました。そちらはいわば地下鉄です。
 
人車の編成を構成する各車両を順に紹介すると、先頭は車掌車。車掌といっても検札をするのではなく、車両前方の席に座り、人車が終点(斜坑の底部)に近付くと地上の巻上機に合図を通信する役目です。リ9 巻上機の運転者は合図を受けるとブレーキをかけ、人車が止まります。次の普通車は炭鉱夫の座席だけ、一般の鉄道でいう客車に相当する車両です。なお、普通車とほとんど同じながら特定車という別名称の車両もつながっていますが、何がどう違うのか分からないので写真は省略します。

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【305】負傷車
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【306】救急車
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【307】最後尾から坑口側を見る

人車(負傷車、救急車)

負傷車はケガ人を運ぶ車両で、内部には担架ごと乗せるための架台が付いています。最後尾は救急車。ただし、ケガ人を運ぶ意味での救急車とはまったく別物で、万一、巻上機と人車をつなぐケーブルが切断して人車が逸走(斜坑の底に向かって暴走)した場合、この救急車が備えているカギ爪が枕木を引っかけて緊急停止できるようになっています。リ9

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【308】工具車
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【309】坑木車
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【310】タンク車

鉱車(工具車、坑木車、タンク車)

次は材料降下坑の坑口前に置いてある車両について。こちらは各種の資材を運ぶ車両で、鉱車と総称されます。一般の鉄道でいう貨車/貨物列車に相当。各車両ともベースとなる台車の上に資材に応じた容れ物を載せた構造です。
 
編成の坑口側から順に紹介すると、まずは採掘作業に使う道具類を運ぶ工具車。これは鋼製の容器を付けただけのシンプルな貨車です。次は、坑道の壁や天井を支えるための木材を運ぶ坑木車。技術の進化するにつれて支持材は木から鉄に変わるのですが、坑木車が展示されているということは、後年も坑木の使用がなくなったわけではないのでしょうか。最後のタンク車は、現地の説明板によると石炭採掘後の空間を埋めるための材料を運搬する車両とのこと。ただ、この “材料” が具体的にどのような充填剤なのかは分かりません。また、肝心の石炭を運ぶ貨車(炭車という)は後述する機械類と一緒に展示されています(写真313)。

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【311】ドリルジャンボ
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【312】フェースローダー
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【313】サイドダンプローダー

採掘用の機械類

2ページで述べた “詳細不明の構造物” の内部には、坑道の採掘現場で使われた機械類が保存されています。これらが活躍したのは炭鉱の機械化が進んだ操業時代の後半から末期にかけてのことです。
 
ドリルジャンボは発破に使うダイナマイトを仕掛ける穴を掘る機械で、炭鉱に限らずトンネル工事などの掘削工事で今も幅広く使われています。フェースローダーは砕いた石炭をかき集めてベルトコンベアに送る機械。サイドダンプローダーはトラクターショベルの一種で、掘削時に出た土や岩を貨車に積み込む際に使います。貨車に横付けして側面から積み込みできるようバケットが横に回転するので(写真313)、坑道/トンネルのような狭い空間では重宝する機械です。ちなみに、大牟田市石炭産業科学館 註3 ではより多くの機械を使った採掘現場の再現展示が公開されており、時間があればそちらの見学もおすすめします。


補註

  1. 世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のうち、三池炭鉱関連では宮原坑、万田坑、三池港、および三池炭鉱専用鉄道敷跡の一部の計4件が選定された。本稿の宮浦坑は世界遺産の対象外である。
  2. 三池炭鉱における日本人の囚人労働は明治初期の官営時代から行われ、三井に払い下げられた後も継続し、1931(昭和6)年まで続けられた。厳しい労働環境に死者が相次いだという。囚人を収容した三池集治監(刑務所)の跡地には三池工業高校が建っているが、レンガ造の外塀は当時のまま。亡くなった囚人の慰霊碑が大牟田市勝立に、また同市一ノ浦町の墓地の中に囚人墓地と伝えられる一画がある。他にも日本人、中国人、朝鮮人それぞれの慰霊碑や墓碑が大牟田・荒尾両市の数カ所に点在。詳しくはこちらを参照のこと。
  3. 大牟田市石炭産業科学館の住所は大牟田市岬町6-23。公式サイトはこちら

参考文献

  1. 『筑後の近代化遺産』九州産業考古学会筑後調査班、弦書房
  2. 『日本の石炭産業遺産』徳永博文、弦書房

リンク

  1. 大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ資料館大牟田・荒尾の歴史遺産宮浦坑跡
  2. 大牟田市石炭産業科学館近代化遺産三池炭鉱宮浦坑跡(宮浦石炭記念公園)
  3. 大牟田の近代化産業遺産宮浦坑跡(宮浦石炭記念公園)旧三池炭鉱専用鉄道敷
  4. 大牟田の近代化遺産三池炭鉱宮浦坑
  5. 文化遺産オンライン旧三池炭鉱宮浦坑煙突
  6. 廃墟徒然草 -Sweet Melancholly-三池炭鉱 #04:宮浦坑
  7. 九州ヘリテージ雑記帳三井三池宮浦坑
  8. 『日本の金属鉱山』 別館 COAL MINING三井三池炭鉱宮浦坑と石炭記念公園
  9. 想い出の三池炭鉱宮浦鉱跡
  10. 炭鉄本館 > 宮浦駅 宮浦駅秤量所、掲示板 1978年2月10日の宮浦(宮浦坑ホッパーの写真)
  11. 炭鉱電車が走った頃
    1. 宮浦坑ホッパーの写真:1994年6月の記憶(1)宮浦駅の20t機関車とホッパー1993年の記憶① 宮浦の11号機
    2. 宮浦坑の古写真:6.三井鑛山株式会社 宮浦坑22. 宮浦大斜坑23. 宮浦坑内人道
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