九州の鉄道の起点
門司港駅は、九州と本州を隔てる関門海峡の九州側の港町 門司にある駅です。九州の南北を結ぶ鹿児島本線の起点であり、門司が貿易港として栄えていた時代はこの駅こそ九州の玄関口でした。時代の変化に伴い交通の要所としての役割は終えたものの、風格のある駅舎は多くの人々に愛されて大切に使われています。
【02】
【03】
【04】
現駅舎は2代目
駅の歴史を簡単に振り返ると、最初に門司まで鉄道を敷設したのは九州鉄道という私鉄です(1911・明治44年に国有化)。初代駅舎は今より東の位置に1891(明治24)年に開業。当時の駅名は門司駅でした。現在の駅舎は1914(大正3)年に竣工した2代目になります。
この2代目門司駅(後の門司港駅)の設計を直接担当したのは鉄道院九州鉄道管理局工務課ですが、九州鉄道がドイツの技術指導を受けていた関係で、ドイツ人鉄道技師(名前は不明)が同駅舎を設計したともいわれています。一方、2代目門司駅のデザインは、その5年前の1909(明治42)年に竣工した2代目博多駅(福岡市、現存せず)とよく似ています。同じ県内の同じ路線で建設時期が近いとなれば、参考にすることは十分あり得る話です。註1
2代目門司駅の構造は木造ですが、モルタル仕上げの上に白い塗装のため石造のように見えます。ただ、白黒写真に着色した昔の絵葉書によると、少なくとも大正時代は柱型が濃いグレーで壁面は黄色という幾分華やかな外観でした。昭和戦前期は濃いグレーの一色。また、正面の大きな庇は1929(昭和4)年の増築です。
2代目博多駅(ウィキペディアから引用、オリジナル写真の著作権保護期間は終了)
駅と街の変遷
明治〜大正時代、交通・物流の拠点である門司港は国内有数の貿易港として繁栄し、街には商社や銀行が軒を連ねました。また、九州と本州を行き来するには関門海峡を船で渡るしかなく、必ず門司駅で乗り降りしなければなりませんでした。ところが関門鉄道トンネルの開通で状況は大きく変わります。トンネルの九州側坑口が門司港の南側に設置され、列車が門司駅の手前で海底トンネルを通って九州〜本州間を走行するようになったため、坑口から北側の区間はいわゆる盲腸線の形で取り残されてしまったのです。トンネルの開通後、坑口の南にあった大里(だいり)駅が門司駅になり、旧門司駅は門司港駅に改称されました。
1891 |
明治24 | 九州鉄道が門司駅(初代)を開業する。 |
1911 | 明治44 | 九州鉄道が国有化される。 |
1914 | 大正3 | 門司駅2代目駅舎(現在の駅舎)が竣工。 |
1942 | 昭和17 | 関門鉄道トンネル開通に伴い、門司港駅に改称。 |
1987 | 昭和62 | 国鉄分割民営化に伴い、JR九州が駅を継承。 |
1988 | 昭和63 | 国の重要文化財に指定される。 |
2012 | 平成24 | 大規模改修工事着工。完了は2018年の予定。その間、駅機能は仮駅舎に移転。 |
確かに、車両基地(写真04)が構内にあるように鹿児島本線の起点としての役割は今も変わりありません。しなしながら、関門トンネルの開通で交通の要衝ではなくなり、港湾機能の中心も郊外の田野浦地区に移ったことから、戦後の門司港駅と市街地の重要性は次第に低下していきます。明治時代に九州鉄道が本社 註2 を構えて以来、戦後も九州の鉄道網を統括する本部は門司港駅の隣のビル(写真03左)註3 に置かれていましたが、JR九州に移行後しばらくして本社機能は福岡市に集約されました。
歴史的な評価と観光地化
ところが、時代に取り残されたが故に駅舎や周辺の近代建築群 註4 が建て替えを免れたことが後に幸いします。1988(昭和63)年、門司港駅は国の重要文化財に指定。東京駅の重文指定が2003(平成15)年なので、門司港駅は駅舎としてはいち早く歴史的価値が認められたことになります。そして、北九州市は1990年代から近代建築群が残るまちなみを「門司港レトロ」として環境整備を進め、今では大勢の観光客が訪れるようになりました。また、近代建築だけでなく、有名建築家が設計したホテルやマンション 註5 も新たに建てられています。
【05】
【06】
【07】
開放的な駅前空間
その門司港レトロ地区のシンボルとしてダントツの人気と知名度を誇るのが門司港駅です。この駅舎を美しいと感じるのは、この駅舎を美しいと感じるのは、デザインが優れていることはもちろん、ファサード(正面)をじっくり観賞できる点も重要なポイントでしょう。前面をタクシー乗り場に占められた駅が多い中、門司港駅は石畳の広場が確保されていて視界を妨げるものがありません。こういう開放的な駅前空間は意外と少ないものです。この広場を含め、門司港レトロ地区のまちなみはアプル総合計画のデザインに基づき時間をかけて整備されました。
【08】
【09】
【10】
内部
ホームの片隅にある閉鎖された地下通路(写真10)はかつて関門連絡船の桟橋に繋がっていました。この連絡船は鉄道事業者が運航していたので、駅から桟橋に直行できるようになっていたわけです。関門鉄道トンネルの開通後もこの連絡船はしばらく存続し、1964(昭和39)年に廃止 註5 されました。また、通路出入口の傍らには、太平洋戦争末期に軍の命令で設置された渡航者をチェックする監視所が残っています。
2018年3月まで改修工事中
建物名 | 門司港駅 Mojiko Station |
---|---|
設計者 | 鉄道院九州鉄道管理局工務課 Ministry of Railways Kyusyu Railway Administration Engineering Works Division |
所在地 | 福岡県北九州市門司区西海岸1-5-31 |
用途 | 駅 |
竣工 | 1914(大正3)年 |
構造・規模 | 構造:木造、階数:2階 |
交通 | 鉄道:小倉駅から普通電車で約16分 |
備考 | 国指定重要文化財 2018(平成30)年3月までの予定で改修工事が行われている。その間の駅機能は仮駅舎に移り、本駅舎は立ち入り禁止。なお、工事の様子は適宜公開される。 |
補註
- この他、イタリア ローマのテルミニ駅の旧駅舎を模倣したとの説もあるが根拠は曖昧である。ウィキペディアのイタリア語版に載っているテルミニ駅旧駅舎の姿は、2代目門司駅、つまり現在の門司港駅とはまったく似ていない。第一、ドイツから技術指導を受けていたのにイタリアの駅を参考にするのは不自然だろう。
- 旧九州鉄道本社は1891(明治24)年に竣工したレンガ造の建物で門司港駅の近くにある。現在は九州鉄道記念館になっている。
- このビルは三井物産門司支店として1937(昭和12)年に竣工した。設計は松田軍平。戦後は国鉄の門司鉄道管理局やJR九州本社に使われた。本社機能の福岡市集約化により空き家となるが、現在は1階に観光施設が入っている。詳しくは別途記事を参照のこと。
- 旧門司税関(1912・M45)や旧大阪商船門司支店(1917・T6)などがある。
- 写真04中央のタワーマンション(門司港レトロハイマート)は黒川紀章氏の設計で1999(平成11)年に竣工。その左はイタリアの建築家アルド ロッシ氏の遺作となった門司港ホテルで1998(平成10)年に竣工した。
- 現在、門司港〜唐戸桟橋(山口県下関市)間で関門汽船が連絡船を運航しており、関門海峡を渡る定期船が無くなったわけではない。
- 門司港駅のことを「九州最古の(木造)駅舎」と述べた文章をしばしば見かけるが、これは大きな誤りだ。門司港駅よりも古い駅舎は九州に複数が現存する。おそらく素人がどこかに書いた昔の文章が拡散してしまったのだろう。新聞記事や建築系の書籍・ウェブサイトでさえ誤った説明を載せていたりするので注意していただきたい。
リンク
- 日本の近代遺産50選 > 8 門司港駅舎(旧門司駅)
- 北九州イノベーションギャラリー > アーカイブ > 産業遺産情報一覧 > 鉄道院門司駅(現JR門司港駅)
- あじこじ九州 > 福岡県 > 北九州 > 門司港駅
- 日本建築材料協会 > 私の建築探訪 > JR門司港駅
- Web地図の資料館 > アンティーク絵葉書・写真に見る懐かしの風景・町並み > 門司港駅
- 門司港駅 ウィキペディア
- 土木学会 > 土木学会デザイン賞 > 2001 > 門司港レトロ地区環境整備
- ネルシスネット > 情報誌「ネルシス」 > vol.6 > 門司港レトロ事業
- BS日テレ 知られざる百年遺産 わが町の建築物語 > 放送内容 > 第70回放送 堂々たる港町の象徴「旧門司駅駅舎」の物語
- NHK映像マップ みちしる 新日本風土記アーカイブス > 門司港駅舎 ネオ・ルネッサンス調の木造建築、門司港駅 古き良き時代の香りを残す駅舎
参考文献
- 『九州遺産 近現代遺産編101』砂田光紀、弦書房
- 『北九州の近代化遺産』北九州地域史研究会編、弦書房
- 『駅のうつりかわり─鉄道旅客駅変遷史─』馬場知己、非売品
公開日:2010年3月20日、最終更新日:2013年7月15日 2代目博多駅との類似性や年表などを追記
撮影時期:2005年9月、2006年6月、2007年12月、2008年5月・8月、2011年11月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)