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芳雄炭鉱 山内坑

概要

『麻生百年史』によると、芳雄炭鉱山内坑は、最初は笠松坑という名称で麻生商店(現在の麻生グループ)が1889(明治22)年頃に開坑するも、1891(明治24)年に大雨による水没で一旦放棄された。明治30年代に山内坑と改称して再開後、麻生が経営する上三緒(かみみお)、綱分、山内の三坑は芳雄炭鉱に合同される(リンク1)。

飯塚市下三緒(しもみお)の上三緒第2団地入口交差点(国道201号線バイパスと県道402号線の立体交差点)の東側の空き地に、山内坑第1坑の巻上機台座と推定される構造物が残っている(リンク2・3)。周辺には斜坑口や関連施設も存在したはずだが、台座と地面に落ちているボタ以外に炭鉱の痕跡は見出せなかった。台座の建設時期は、鉄筋コンクリート造ということから昭和時代と考えられるが、大正時代の可能性も否定できない。

閉山後の造成工事で現地の地形はかなり変わっているようだ。1970年代の航空写真を見ると、炭鉱住宅の建て替えと思われる公営住宅の建設が既に進んでいる。また、台座の基礎スラブ底面が露出しているので、土壌の流出も進行していることが分かる。


地理院地図(撮影 1974〜78・昭和49〜53年度)

データ

住所:福岡県飯塚市下三緒
撮影:2011(平成23)年11月、2014(平成26)年8月

リンク

  1. 麻生グループ麻生百年史16 笠松の放棄20 豆田、芳雄坑の開坑
  2. あれなん麻生 山内第一坑巻揚機台座?かも
  3. 鶴嘴さんのブログ麻生 鉱業(株) 芳雄 炭鉱

作成日:2015/2/28、最終更新日:同左

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