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海老津炭鉱運炭線

概要

福岡県遠賀郡は内陸部から玄界灘に流れる遠賀川の河口域に位置し、海老津(えびつ)は同郡岡垣町の一地名である。産炭地として有名な筑豊地方は主に福岡県の内陸部を指すが、広義には遠賀郡も含まれる。鉄道が発達する前、石炭は小舟に載せて遠賀川で運んでいたことを踏まえると、遠賀郡の炭鉱も筑豊炭田の一部だと考えていいだろう。

海老津炭鉱は岡垣町の戸切百合野地区にて明治時代から1956(昭和31)年まで操業していた。岡垣町の年表には「明治45年9月 海老津炭鉱創業開始」とある。また、「明治23年3月 戸切に日の出炭鉱開鉱」ともあるが、海老津炭鉱との関係は分からない(リンク4)。石炭は坑口から鹿児島本線 海老津駅まで運炭線(送炭線)で運び、駅の積み込み施設で貨車に移していた。海老津駅から南東に続く小道が運炭線の跡で、Googleマップでは県道87号線との接点まで読み取ることができる。炭鉱の坑口や施設はおおむね県道87号線の先にあったようだ。運炭線は当初は馬が引いていたらしく、後にエンドレス線になった。

道路となった現状から運炭線の痕跡はほとんど見出せないが、ただひとつ、当時の橋梁が路線の中間付近に残っているのを「おっちー」さんが発見された(リンク1)。構造形式はレンガ造のアーチ橋。レンガは大部分に鉱滓レンガが、部分的に赤レンガが使われていて、建材の違いや両者の継ぎ目から、ある時期に軌道が拡幅されたことが分かる(馬力からエンドレスへの転換時か?)。『北九州・筑豊の近代化遺産100選』によれば、鉱滓レンガ側が拡幅後らしい。

赤レンガ側の側面は築堤の法面に対して斜め向きになっている。この場合はいわゆる“ねじりまんぽ"形式でレンガを積むものだが(例:西鉄北九州線の折尾高架橋)、この橋梁では珍しいことにアーチ断面をそのまま斜めに納めている。一方、鉱滓レンガ側の側面と法面にはズレは生じておらず、普通の納まりだ。なぜ両面で角度が異なるかというと、内部で屈折しているからで、アーチを真っ直ぐ見ると、ふたつのレンガ躯体の境界で微妙に折れ曲がっていることが分かるだろう。

ライン:海老津炭鉱運炭線、 マーカー:橋梁

photo01

左:赤レンガ側アーチのアップ、 右:アーチ内部

付け加えると、鉱滓レンガ造の橋梁という点も珍しい。鉱滓は製鉄所の副産物であり、福岡県には八幡製鉄所があることから北九州を中心に鉱滓レンガ造の建築物は多いが、橋梁など土木構造物への使用例は少ない。筆者が知る範囲では、八幡製鐵所専用鉄道(くろがね線)の橋梁に鉱滓レンガが使われている。

なお、この橋梁以外の海老津炭鉱の遺構については筆者は未見である。これらはリンク2・3を参照されたい。

データ

住所:福岡県遠賀郡岡垣町大字戸切
竣工:大正時代
撮影:2010(平成22)年1月

リンク

  1. Web otcheephoblog de otchee大収穫!? ねじりまんぽもどき(笑)〜海老津炭鉱 運炭線跡〜
  2. あれなん海老津炭鉱跡地 (駈足版)
  3. ツルハシさんのブログ海老津 炭鉱
  4. 岡垣町岡垣歴史年表 明治・大正・昭和

参考文献

『ポケット判 北九州・筑豊の近代化遺産100選』筑豊近代遺産研究会・北九州地域史研究会、弦書房

作成日:2014/3/22、最終更新日:同左

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