【02】
建物の歴史
この建物は大正末期に門司郵便局電話課の庁舎、つまり電話局として建てられました。「郵便局の電話課」となっているのは、戦前の電話は郵便と共に逓信省という役所が担当していたからです。当時、郵便・電話など逓信省関係の建物を設計していた同省の営繕課は、我が国の建築デザインをリードする組織でした。彼らが手掛けた逓信建築の多くは既に解体されており、門司の庁舎は数少ない現存例のひとつです。
戦後は電電公社を経てNTT西日本に引き継がれて営業所に使われました。そして、レトロブームで門司港が観光地化したことと建物の歴史的価値を考慮したNTTは、1階に電信・電話の歴史を紹介する博物館を開設して現在に至ります。
【03】
分離派建築
建物は交差点の角地に沿ってL字型に建っています。歴史様式建築ならコーナーに塔屋を設けるところですが、この建物ではコーナーをRに丸めただけで立面は驚くほど一様です。柱型とマリオン(方立)のラインが垂直性を強調しています。
門司港駅近くの旧三井物産門司支店もこのような手法の立面ですが、あちらがアメリカ帰りの設計者による合理主義的なデザインであるのに対して、電話課庁舎は分離派という建築思想に基づいています。
分離派とは古典的な建築からの脱却を目指す近代建築運動で、我が国では1920(大正9)年に結成した分離派建築会などを通じて広がりました。逓信建築は明治時代の歴史様式から始まって次第に表現主義や分離派の傾向が強くなり、昭和初期には国際様式(インターナショナル スタイル)に到達します。
【04】
設計者について
逓信省営繕課で門司の庁舎を担当したのは山田守です。彼は東大在学中に分離派建築会を立ち上げた初期メンバーのひとりで、入省後は営繕課の一員として、また関東大震災後に設立された復興局土木部で、建物や橋梁を設計しました。
門司の庁舎は、山田が設計の中心人物として手掛けた最初期の建物と見られます(「初めての」と断定できるかどうかは分からない)。ただし、外観を特徴付けている柱型・マリオンや上部の折れ線状アーチは、山田の入省前に完成していた別の逓信建築で登場しているので、門司のデザインが彼の完全オリジナルとまではいえません。
つまり、逓信省営繕課で既にある程度確立していたデザインフォーマットに基づいて設計したと考えられますが、それをバランス良くまとめたのは山田の力量でしょう。また、西陣電話局(京都府、大正11)や下関郵便局電話課庁舎(山口県、大正12)に装飾や歴史様式の影響が見られることに比べると、装飾が少ない門司(大正13)のデザインには、分離派建築会メンバーの山田らしさを感じます。
【05】
小さな穴は放水口
【06】
装飾的なエントランス
左:旧 赤間関郵便電信局、右:旧 下関郵便局電話課庁舎
近隣の逓信建築
ちなみに、関門海峡対岸の山口県下関市には、1900(明治33)年に竣工した旧 赤間関郵便電信局(現 下関南部町郵便局)と1923(大正12)年の旧 下関郵便局電話課庁舎(現 田中絹代ぶんか館)が現存しています。
名称 | 門司電気通信レトロ館 Moji Telecommunication History Hall |
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旧名称 | 門司郵便局電話課庁舎 Moji Post Office Telephone Department |
設計者 | 山田守 / 逓信省営繕課 YAMADA Mamoru / Ministry of Communications Design Section |
所在地 | 福岡県北九州市門司区浜町4-1 |
用途 | 当初:電話局、現在:博物館 |
竣工 | 1924(大正13)年 |
構造 | 鉄筋コンクリート造 |
交通 | 鉄道:鹿児島本線 門司港駅下車 徒歩約15分 |
参考文献
- 『北九州の近代化遺産』北九州地域史研究会、弦書房
- 『福岡県の近代化遺産 福岡県文化財調査報告書 第113集』福岡県教育委員会
- 『建築グルメマップ2 九州・沖縄を歩こう!』59頁、エクスナレッジ
- 『建築MAP北九州』131頁、TOTO出版
リンク
- NTT西日本 > 北九州支店 > 門司電気通信レトロ館
- 北九州イノベーションギャラリー > アーカイブ > 産業遺産情報 > 門司郵便局電話課
- BS日テレ 知られざる百年遺産 わが町の建築物語 > 放送内容 > 第20回放送 大正モダンの公共建築「旧門司郵便局電話課庁舎」の物語
- 門司電気通信レトロ館、山田守、分離派建築会 ウィキペディア
- 分離派建築博物館
建築マップで紹介している逓信建築(年代順)
公開日:2004年10月11日、最終更新日:2012年6月17日 写真を差し替え、撮影時期:2011年11月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)