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戦没学徒記念若人の広場 ( 2/5 )
Memorial of War Dead Students, Youth Plaza
兵庫県南あわじ市、丹下健三、1967(昭和42)年
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展示棟の内部

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それでは建物を見ていきましょう。若人の広場は大きく分けて展示棟と慰霊塔のふたつで構成されています。駐車場から階段を上がると展示棟外壁の石積みの大きなボリュームと対面、そして建物の側面を通って玄関(前ページ写真15)から内部に入って展示品を見学した後、再び外に出て屋上に上がって周囲の景観を眺めてから記念塔に向かう順路が想定されていたようです。本稿もその順路に沿って、2ページ目では展示棟の内部を紹介します(筆者が訪れたときは玄関は塞がれており、実際は内部見学後の出口と思われるところから中に入った)。
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ヴォールトで構成した内部空間

館内には引き取られなかった備品などがいくつか残っているだけなので、純粋に内部空間を観賞する目的では理想的な状況といえるでしょう。それも、丹下健三の実力が存分に発揮された空間を。
 
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内部でまず目に止まるのはヴォールト(カマボコ形)の天井です。しかも個々のヴォールトの半径が異なっている上に、曲率が変化している部分(つまり円錐形)まであるなど、単にヴォールトを並べただけではない非常に手の込んだ構成になっています。
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浮遊した屋根スラブ

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そのヴォールト天井と壁が接するはずの部分には細い隙間が開いています。つまり、屋根スラブと壁・柱の躯体が完全に分離しており、屋根スラブは柱頭や壁上端にある金物(右の写真)で持ち上げられているのです。石積みや打放しの質感がもたらす重々しい雰囲気だけでもこの施設の主旨に合致しているところを、重たい屋根が浮いて見えることや隙間から差し込む光によって、まるで宗教建築を思わせる神秘性が生じています。また、この内部空間の重々しい雰囲気や隙間は、塹壕・トーチカといった軍事施設をイメージしていると思われます。
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動員学徒の詩

先述したように展示品は他施設に移されましたが、引き取られなかった展示パネルが何枚か残っています。筆者が内部を見て回っていると、ある1枚のパネルの前で足が止まりました。それは、動員先の工場で米軍機の攻撃により死亡した15歳の少年が死の前日に書いた日誌の一文です。15歳といえば現在の学校制度では中学3年生。その少年がこのような文章を綴った境遇を思うと、平和のありがたさを痛感せずにはいられません。
 

芋でない ほんとうの飯を 腹一杯たべたい。
心の中を歌う 詩と言うものを 一度つくってみたい。
そしてゆっくり眠りたい。

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