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清和園住宅

概要

我が国における鉄筋コンクリート(RC)造集合住宅建設の歴史は、資材統制や戦局の悪化のため、長崎県の端島炭鉱(軍艦島)の炭鉱住宅といった例外を除き、全国的には昭和10年代に一旦ほとんど途切れてしまう。戦後のRC造公営住宅は、1947(昭和22)年に設計されて1948(昭和23)年6月に1期工事が竣工した東京都の都営高輪アパートから再開する。この高輪アパート1期の設計を47型といい、これを若干改良した48型による公営住宅が全国の6大都市と広島市・長崎市に建設された。本格的な標準設計は1949年の49型であるが、実質的にはその前年からスタートしていたことになる。

さすがに竣工から60年以上も経つと老朽化や狭小化を理由に大半が解体されたものの、48型はまだ若干残っている。本稿執筆時点(2012年12月)で筆者が把握している現存例は、大阪市の夕陽ヶ丘住宅(閉鎖)、広島市の平和アパート(解体予定)の1号棟、長崎市の魚の町団地、そしてこの下関市営 清和園住宅だ。

下関市は起伏が多い土地で、清和園住宅は小高い丘の頂上にある。RC造4階建の板状住棟が1棟、その隣に平屋建で長屋形式(構造不明、RC?)の住棟が1棟という構成だ。4階建の住棟は全長が長くて階段室は5ヶ所もある。できるだけ住戸数を増やすためだと思われるが、初期の団地でこれほどの長さは珍しい。この当時の団地は浴室がなかったため(そもそも一般家庭に内風呂が普及していなかった)、後年に浴室を増築している。

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また、階段室の1階部分が少し下がって住棟を通り抜けできる点もユニークだ。裏側の出入口にはポーチが付いていて、むしろ裏の方にコストがかかっている。もともと48型は階段室の地下に倉庫を設置する設計になっており、倉庫にアクセスする通路を貫通させたようだ。ちなみに夕陽ヶ丘住宅にも半地下の通り抜け通路はあるが、そちらは階段室とは別個に設けている。

データ

住所:山口県下関市幸町
竣工:1948(昭和23)年度
撮影:2012(平成24)年11月

参考文献

  1. 『公営アパートの設計について─標準設計の背景と展開─』建設省住宅局住宅建設課、日本建築学会「建築雑誌」VOL.67, NO.782, 1952、CiNiiの当該ページ


作成日:2012/12/2、最終更新日:2012/12/16

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