タイトルロゴ


スライドショー 21枚

大谷炭鉱

概要

大谷炭鉱は福岡県糟屋郡宇美町でかつて操業していた炭鉱だ。宇美川の支流にあたる井野川の両岸、現在の地名でいうと宇美町貴船1丁目付近に存在した。大谷炭鉱は資料に乏しく明確な歴史は分からないが、鉱業関係データサイト(リンク1)で調べると、最も古い記録としては「鉱山名 大谷、許可年月日 明治25年10月5日、住所 宇美 炭焼」という情報がヒットする。炭焼は貴船地区の古い地名で交差点などにその名が残っている。同サイトやトライスターさんの調査(リンク2)をまとめると、明治末期から大正初期は三笠商会が経営、さらに山下石炭(山下鉱業)、大谷炭鉱と変遷し、1935(昭和10)年(1937・昭和12年とも)に東邦炭鉱が買収、そして戦争末期の1945(昭和20)年5月、隣接する三菱鉱業勝田鉱業所(勝田炭鉱)に譲渡され、1951(昭和26)年に(三菱としては)閉山となる。もうひとつ、桜羽薫なる人物が経営する「第二大谷」という炭鉱も存在したが、住所が宇美・須恵・志免と広範囲に及んでおり、「大谷」との関係はよく分からない。

1951(昭和26)年以降の状況については、相知炭鉱という企業が昭和30年代中頃に新大谷炭鉱を経営していたとの情報が鉱業関係データサイトに載っている。相知炭鉱は佐賀県の唐津炭田の炭鉱で、三菱が経営した時期もあったとのことなので(リンク2)、同鉱がいわゆる第二会社として大谷炭鉱の経営も引き継いだのではなかろうか。新大谷炭鉱の閉山は1963(昭和38)年である(リンク2)。

photo01

【01】
photo02

【02】
photo03

【03】
photo04

【04】

大谷炭鉱の遺構としては、コンクリート構造物(写真01)、トロッコ軌道の橋脚(写真02)、石造・レンガ造の構造物(写真03)、炭鉱住宅(写真04)が残っている。

コンクリート構造物は住宅街の空き地にひとつだけ放置されている状態だ。下記の「今昔マップ」で照合すると、この場所は香椎線宇美駅から大谷炭鉱に延びていた引き込み線の末端付近であり、漏斗状の形と考え合わせると、選炭施設か積み込み施設の一部ではないかと思われる。トロッコ軌道の橋脚はこのコンクリート構造物の少し北側の井野川沿いにある(鉄道関係は後述)。石造・レンガ造の構造物は川沿いの現在は墓地になっている場所にある。用途は不明。傾斜地の高低差を利用した初期段階の選炭施設または積み込み施設ではないかと推測するが、確証はない。炭鉱住宅は川の西岸、貴船1〜2丁目にある程度残っている。資料や聞き込みで裏付けを取ったわけではないが、木造長屋の位置関係が1930年代の地形図とほぼ一致するので、炭鉱住宅と判断していいだろう。他の炭鉱住宅街と比べると隣棟間隔がかなり狭い。

上の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したもので、左画面は1/25,000地形図 1936〜38年(昭和11〜13年)で大谷炭鉱周辺を、右画面はGoogleマップの写真モードでその現状を表示している。右は同じ場所のGoogleマップ(地図モード)だ。

1930年代の地形図には3本の鉄道が描かれている。まず、井野川の東岸沿いに北から南まで通っている路線は、1985(昭和60)年に廃止された勝田線(1930年代当時は筑前参宮鉄道)である。一時期は大谷駅が存在したが、設置期間が1932〜1944(昭和7〜19)年と短かったので、少なくとも今昔マップに収録の地形図には載っておらず、駅の位置ははっきりしない。引き込み線の末端=駅の位置という可能性は高いが、必ずしもそうとは断言できない。

次に、勝田線のすぐ右を併走して途中で終わっている路線は、香椎線(1930年代当時は博多湾鉄道汽船)の宇美駅から大谷炭鉱前駅まで延びていた部分だ。大谷炭鉱前駅は記録では1935(昭和10)年に開設されたが、今昔マップの表示を1920年代に切り替えると大谷炭鉱までの軌道は既に存在するので、炭鉱引き込み線自体は同駅の設置以前から開通して石炭を運び出していたと考えられる。なお、勝田線(筑前参宮鉄道)側でも大谷炭鉱の石炭を運んでいたかどうかは分からない。おそらく香椎線がメインだろう。

3番目は大谷炭鉱のトロッコ軌道(構内軌道)で、井野川の西岸から河川と勝田線、香椎線引き込み線の上を橋梁で越えて両線の東側を併走し、現在の四王寺坂2丁目付近まで延びていたようだ。写真02の橋脚はこの橋の遺構。また、東岸にも橋台が残っているが筆者は見落とした(リンク2)。右地図の青いラインは、1930年代の地形図を参考にトロッコ軌道のおおよその位置をプロットしたものである(正確ではない)。なお、大谷炭鉱の坑口はこの橋梁の両岸にあった。地形図に鉱山の記号(ツルハシをX状に組み合わせたもの)が読み取れる。

ライン赤 左:勝田線、右:香椎線の引き込み線、ライン青:大谷炭鉱のトロッコ軌道、マーカー:写真01の構造物

データ

住所:福岡県糟屋郡宇美町貴船1-24他
撮影:2014(平成26)年2月

参考文献

  1. 『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州沖縄』監修 今尾恵介、新潮社

リンク

  1. 鉱業関係データサイト鉱区データ「鉱山名=大谷、住所=宇美」で検索
  2. トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記大谷炭鉱炭鉱と廃線と廃墟の探索
  3. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス大谷炭鉱周辺を表示 > マーカー2 高解像度表示 M341-2 1956(昭和31)年に撮影された操業末期の様子。引き込み線の末端付近に矩形の構造物がいくつか写っている。そのひとつが写真01の構造物だろう。井野川西岸での採掘は既に終了したらしく、巻上機台座らしき構造物以外はほぼ更地になっており、トロッコ軌道も撤去済みだ。

作成日:2014/8/16、最終更新日:同左

inserted by FC2 system