手結港(手結内港)
概要
手結(てい)港は高知県香南市夜須町にある港だ。竣工年は諸説あるが、1655(明暦元)年頃に竣工したといわれている。近世から近代、戦後にかけて何度か改修工事を受けているものの、基本的な構造は竣工時からさほど変わらず現在まで使われ続けており、江戸時代の土木技術の高さを物語る貴重な土木遺産である。なお、明治から大正時代にかけて既存の港の外側に新たな港(外港)が建設され、これと区別するために江戸時代の築港部分は手結内(ていない)港ともいう。
手結港の建設を主導したのは土佐藩家老の野中兼山(けんざん)である。兼山は新田開発や築港といった土木事業を積極的に行った一方、その厳格な政治姿勢が反発を招いて最後は失脚してしまうのだが、彼が土佐藩の礎を築いたことは確かである。江戸時代前期に当時最新の港が造られた理由は、第一に悪天候時における避難港のためだった。険しい山々に囲まれた土佐藩は、参勤交代を山越えではなく海路で行っていたため、安全上、避難港が必要であり、兼山は手結港、津呂港、室津港の3港を整備した。その最初が手結港だ。
岩礁地帯の入江を掘削して造られた手結港は、日本最初の本格的な掘込港湾といわれている。窪地に石垣を築いて背後を埋め立てたことから埋立港湾とする説もあるが、掘削を行ったのは事実なので掘込港湾とみなしていいだろう。
初期の手結港は矩形の船溜まりとその出入口、港内の土砂堆積を防止する突堤で構成されていた。船溜まりの規模は東西40間(72m)、南北80間(144m)、水深は干潮時1丈(3m)、満潮時2丈(6m)である。堅牢な港湾施設の完成で海路の安全性が向上し、海運や漁業に大いに役立った。明治以降も港は発展し、1914〜5(大正3〜4)年頃に外港が完成。戦後の改修で護岸がコンクリートブロックに変えられてしまったが、1991(平成3)年からの原型修復工事で竣工時の野面石乱積みに戻された。
また、2002(平成14)年には内港の出入口に可動橋が完成した。
データ
住所:高知県香南市夜須町手結
竣工:1655(明暦元)年頃
撮影:2006(平成18)年10月
リンク
- 建設コンサルタンツ協会 > 土木遺産 > 日本の土木遺産 > 四国 > 手結港(内港)
- 建設コンサルタンツ協会誌「Consultant」 > 244号 > 江戸初期の築港技術を示す港湾遺産「手結港(内港)」PDF
- 土木学会 > 土木学会学術論文等公開ページ > 土木史研究講演集 > 1983 第3回 > 手結港の建設経緯と今後の整備に関する考察 PDF
- 日本埋立浚渫協会 > 港湾遺産 > 手結港(内港) > 資料編
- 香美市観光協会 > 物部川の風 〜香美市点描〜 > 野中兼山
- 野中兼山 ウィキペディア
作成日:2013/6/2、最終更新日:同左