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現 九州工業大学 学生支援プラザ
旧 明治専門学校 鉱山工学科

概要

福岡県北九州市にある国立九州工業大学の起源は、明治時代に設立された私立明治専門学校である。炭鉱経営で財を成した“筑豊御三家”のひとつ安川家の当主 安川敬一郎は、私財を投じて明治専門学校を設立し、1909(明治42)年に開校した。当初の学科は採鉱、冶金、機械の三つで、2年後に応用化学と電気が加わる。採鉱学科とは、炭鉱主が設立した学校ということから分かると思うが、炭鉱など鉱山技術者の養成コースである。

以下、採鉱学科の系譜を中心に学校の沿革を簡単に述べると(リンク1)、1921(大正10)年、学校が官立に移管されるとともに採鉱学科は鉱山工学科に改称。1938(昭和13)年には採炭学科が増設されるも1943(昭和18)年に廃止。1944(昭和19)年、校名を明治工業専門学校と改称。戦後の1949(昭和24)年、明治工業専門学校を包括する形で九州工業大学設立。1951(昭和26)年、明治工業専門学校廃止。そして炭鉱の閉山が相次いだ時期である1964(昭和39)年、鉱山工学科は開発土木工学科に改称され、炭鉱技術者養成校としての役割は終わる。その後も学科の改編が行われ、現在は建設社会工学科が系譜を受け継いでいる。

さて、本稿で紹介する建築は、官立明治専門学校時代の1927(昭和2)年に鉱山工学科の校舎として建てられたものだ(リンク3)。そもそも1909(明治42)年開校時の校舎群は建築界の重鎮 辰野金吾が設計したのだが、当時の建築で現存するのは正門の守衛所のみ。門柱も開校時のものだが設計者は分からない。戸畑キャンパスに残る戦前期の建築物はこれら3件しかなく、大学と炭鉱との関わりを直接伝えるのは鉱山工学科の旧校舎だけである。

マーカーの位置が学生支援プラザ、その北に記念講堂鳳龍会館

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旧校舎は、標本資料室としてあまり使われていない時期がしばらく続いた後、学生支援プラザに改修されて現在に至る。1階はキャリアセンター、2階は明専ライブラリーという大学歴史資料室(見学には予約が必要、リンク2)が入っている。構造は鉄筋コンクリート(RC)造の2階建て。RC造にしては柱の間隔がかなり短いが、(おそらく改修工事で)1階の一部がピロティに変わった部分を見ると、装飾的な付柱ではなくすべて構造上必要な柱のようだ。建物の形状は矩形を基本としつつ、両端を少し突き出したり、中央部の装飾、柱型と縦長窓による垂直性の強調によって、左右対称のクラシカルなファサードが作られている。また、鉱山工学科のシンボルかどうかは分からないが、ツルハシとハンマーを図案化したマークが中央部にある。

学生支援プラザへの再生はキャンパス整備の一環だったらしく、併せて外部空間の改修も行われ、同プラザを中心に既存と新設の校舎を組み合わせて中庭が作られている。鉱山工学科の歴史を尊重した上で現代にもマッチした、良質なパブリックスペースである。

データ

住所:福岡県北九州市戸畑区仙水町1-1
設計:不詳
竣工:1927(昭和2)年
撮影:2010(平成22)年3月

リンク

  1. 九州工業大学大学案内本学の伝統沿革
  2. 同上 > 図書館・付属機関明専アーカイブ
  3. 産業考古学研究室近代化産業遺産リスト > 北九州市 戸畑区


作成日:2014/8/2、最終更新日:同左

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