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流田橋梁

概要

流田橋梁は鹿児島本線の荒木駅~西牟田駅間に位置する。鹿児島本線は、九州鉄道(当時)によってまず博多駅~千歳川仮駅(筑後川の北岸、久留米駅の北)が1889(明治22)年に開業し、翌年に筑後川を越えて久留米駅まで開通。その翌年、つまり1891(明治24)年4月に高瀬駅(現・玉名駅)まで単線で開通した。流田橋梁はこの高瀬駅まで開通したときの区間に含まれる。同橋梁の複線化はかなり遅く、1964(昭和39)年の荒木駅~羽犬塚駅間の複線化による。このような経緯から流田橋梁は上下線で独立した橋になっていて、下り線(熊本方面)が明治時代に開通した部分である。本稿ではこの下り線橋梁について詳述する。

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左手前が流田橋梁、右奥のトラスが荒木川橋梁、背後の高架橋は九州新幹線

福岡県南部に広がる筑後平野には筑後川を主要河川とする大小多数の支流が流れており、全体で筑後川水系を構成している。流田橋梁はその支流のひとつである広川に架かる橋梁だが、この橋単独で川を越えているのではなく、北岸と中州に流田橋梁が、中州と南岸に 荒木川橋梁が架かり、ふたつの橋で川を越す形になっている。おそらく、架橋技術が低かった明治時代においては、ふたつに分けて規模を抑えた方が合理的だったのだろう。一方、昭和時代の上り線橋梁は中州を利用せず1基のプレートガーダー橋で造られている。

上から流田橋梁、荒木川橋梁

普段、流田橋梁の下は細い水路しか流れておらず、橋の下にも立ち入り可能だ。橋梁は2スパンで構成され、構造形式はプレートガーダー橋、橋脚と橋台はレンガ造である。明治時代の構造物といえるのは橋脚・橋台だけで、ガーダーは後年に架け替えられた可能性が高い。橋脚の水上側は水や漂流物を受け流せるよう山型になっていて、コーナーや橋桁を受ける部分にはレンガより耐久性の高い石材が使われている。

データ

住所:福岡県久留米市荒木町荒木
竣工:1891(明治24)年頃
撮影:2014(平成26)年1月

作成日:2014/3/9、最終更新日:同左

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