三川坑の現状
三池炭鉱の各坑口は、宮原坑や万田坑のように保存・公開されたところはあるものの、その他は大半が解体されて痕跡はほとんど分からなくなりました。三川坑については、炭鉱鉄道の撤去や有明海沿岸道路の建設に伴い、西側の施設(ホッパー、選炭場、坑外職場等)が失われた一方、第二斜坑口、繰込場、事務所といった東側の施設はある程度残っています。これらは産業遺産として、そして三池炭鉱の歴史の証人として重要な遺構です。三川坑は1997(平成9)年の閉山後は閉鎖状態が続いていましたが、2012(平成24)年に初めて一般公開が行われました(ただし、建物内部は危険なため非公開)。以下、そのとき筆者が見た現存施設を見学ルートの順路に沿って紹介します。
【401】正門
【402】事務所
【403】調査関係施設
正門:三池争議のとき、入構する新労とこれを阻止する三池労組、双方の組合員が正門で激しく衝突しました。門柱には、三井鉱山から1973(昭和48)年に分離した「三井石炭鉱業株式会社 三池鉱業所」のプレートが掛かっています。
事務所:人事・事務・労務関係部門の建物で、炭鉱の責任者である鉱長の部屋もここに置かれていました。
調査関係施設:機械・電気・採鉱等の設備の設置や撤去を調査する部門があった建物。建物名称が不明確につき筆者の判断で「調査関係施設」とします。『資料「三池争議」』には「係員詰め所」と記載。
【404】入昇坑口
【405】繰込場
【406】職員浴場
入昇坑口:繰込場で点呼・指示を受けた労働者はここから坑口に入りました。シャッターの内側にはトンネルがあり、後述する斜坑口の人車乗り場の側面に通じています。
繰込場(くりこみば):鉱員が入坑前に準備をしたり作業の指示を受ける場所。比較的大きな木造建築で、その大きさを支えるため側面にバットレス(控え壁)が付いています。
職員浴場:坑内に入ると真っ黒に汚れるため、炭鉱には必ず共同浴場があります。写真は職員(鉱員に指示を出す立場)用の浴場です。鉱員浴場は現存せず。
【407】コンプレッサー室
【408】第一斜坑巻上機室
【409】神社
コンプレッサー室:圧縮空気で動く機械(削岩機等)の動力源となるコンプレッサーが置かれている建物です。内部に機械設備がするものの、建物の損傷が進んでいる模様。
第一斜坑巻上機室:三川坑には第一と第二、ふたつの斜坑がありました。傾斜が大きい斜坑で列車(人車や炭車)を動かすには、ワイヤーケーブルとその巻上機が必要です。地底に延びる斜めのトンネルをケーブルカーが往復する、という理解でいいでしょう。第一斜坑の坑口は解体済みで巻上機の建屋のみ現存(接近不可)。この内部には巻上機が残っていると思われます。坑口と巻上機室の間(写真408の撮影位置)には点検場(写真411参照)があったはずですが、これも解体済み。前ページで述べた通り、第一斜坑は多くの犠牲者を出した炭塵爆発事故が起きたところです。
神社:危険な現場で働く鉱員達は、炭鉱の守り神である山ノ神(大山祇 おおやまづみ)を篤く信仰し、構内や近隣にはほぼ必ず神社が置かれています。鳥居の奥は立ち入り禁止でしたが祠があるはずです。
【410】第二斜坑口
【411】点検場
【412】人車
第二斜坑口:第一と平行に並ぶ第二斜坑の方は施設一式が残っています。写真410の奥に見える半円形部分が第二斜坑の坑口。ただし、閉山に伴い壁で塞がれています。ここから約11度の傾斜で長さ2012mの斜坑(斜めのトンネル)が有明海の地下350mまで続き、その先は複雑に入り組んだ坑道が広がっています(閉山後は水没)。坑口前の建屋は人車乗り場で、前述の入昇坑口(写真404)と乗り場の側面がトンネルで繋がっています。
点検場:坑口の外も斜路と軌道が続き、その延長上に第二斜坑巻上機室(接近不可)があります。坑口と巻上機室と間のスペースは、上屋に「点検場」とのプレートが掛かっていたので、人車・炭車の運行前の点検を行っていたのでしょう。軌道が分岐していることから、車両を入れ替えて本格的な整備は別の施設で行っていたものと思われます。
人車(じんしゃ):点検場の傍らに、錆だらけの人車が数両ほど置かれていました。炭鉱における人車とは、鉱員を乗せて坑道内を走る車両のこと。写真412の人車は第二斜坑で使われたものと見て間違いないでしょう。先ほど「ケーブルカー」と表現したように、巻上機のケーブルによって斜坑の坑口と底部を往復します。
参考として、大牟田市の三池炭鉱宮浦坑に保存されている良好な状態の人車と炭車の写真を載せておきます。同坑の施設は大部分が解体済みで、斜坑口と煙突だけが保存されています。
三池炭鉱宮浦坑の人車と坑口
宮浦坑の人車
三池炭鉱宮原坑の炭車