炭鉱と鉄道
炭鉱から掘り出した石炭は鉄道で運ばれていました。主に石炭の輸送目的で開設された路線を運炭線といい、福岡県内の産炭地には網の目のように張り巡らされていましたが、閉山後は利用が低迷し、赤字ローカル線と化して大半が廃止に追い込まれました。このページでは、志免炭鉱に関わりのある2本の廃線跡などの鉄道関連遺構を紹介します。
【702】上屋は公園整備時の建設
志免鉄道記念公園と勝田線の廃線跡
住所:福岡県糟屋郡志免町大字志免561-1
旧志免駅を公園に整備
【703】
勝田線の歴史
勝田線は吉塚〜筑前勝田を結ぶ13.8kmの路線で、1918(大正7)年に末端部が部分開業、翌年に全線開業しました。開業時の事業者は筑前参宮鉄道、その後、別会社を経て1944(昭和19)年の戦時買収で国鉄勝田線になります。糟屋炭田の運炭線として活躍するも、沿線の炭鉱が閉山した後は衰退の一途を辿り、1985(昭和60)年に廃止されました。
廃線跡の現況
勝田線の廃線跡は、一般道になった部分もありますが、大部分の区間が遊歩道に整備されており、地元住民の散歩やジョギングコースとして親しまれています。写真703は旧志免駅付近の様子。廃線跡がはっきりしているので容易にトレースできますが、整備されすぎて廃線跡を辿る面白さには少々欠けるかも知れません。その点では下記の貨物支線の方が面白いでしょう。
香椎線貨物支線(旅石線)の廃線跡
貨物支線の歴史
勝田線とほぼ並走する香椎線という路線があります。これも糟屋炭田の運炭線だった路線で、廃止された勝田線とは対照的に今も存続しています。
1909(明治42)年、香椎線酒殿(さかど)駅と勝田線志免駅の間に貨物支線が開通。1915(大正4)年には第六坑があった須恵町の旅石駅まで同支線は延びました(よって旅石線ともいう)。基本的には石炭等の貨物を輸送する路線であり、志免〜旅石は1960(昭和35)年に廃止されますが、その後も酒殿〜志免は特急列車の方向転換に利用され、1985(昭和60)年に廃止となります。
廃線跡の現況は、酒殿〜志免には築堤が残り、志免〜旅石は道路になっていて、大部分の痕跡を辿ることができます。距離が短く、トレースするには手頃な廃線跡です。
左の地図の青線が廃線跡。以下、酒殿から旅石に向けて辿った廃線跡の現況を載せておきます。
01 支線は酒殿駅で香椎線から分岐。廃線跡は駅へのアクセス道路に。
02 正面にボタ山が見える。志免駅と竪坑櫓は山の向こう側。
03 しばらく田畑の中に築堤が残る廃線跡らしい風景が続く。
04 橋梁の跡。橋台は石造。
05 支線は河川と交差。コンクリート造の橋台が残る。迂回して対岸へ。
06 田畑の水路と交差していた橋梁の後。橋台はレンガ造。
07 廃線跡は民間企業の敷地の中へ続いている。いったん迂回するしかない。
08 前述の敷地の反対側で支線は分岐して一方は志免駅構内へ。もう一方は竪坑櫓の南側を通って旅石へ。
10 先に進む。
11 二手に分岐していたようだ。右は廃線跡で間違いないが左は線路にしては急勾配。ボタを盛ったのではないか。
12 須恵高校付近。この辺は第六坑のボタ山だった。旅石駅の位置は不明。
【704】
9600形蒸気機関車29612号機
住所:福岡県糟屋郡志免町志免中央1-9
半世紀以上も活躍したSL
【追記】2014(平成26)年にこの機関車は 豊後森機関庫がある大分県玖珠町に譲渡され、志免町には既にありません。